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『えひめトレード&トレンド2026年10月号』米国同時多発テロから25年 ~ニューヨークで見た喪失と希望の軌跡~ 2026年9月30日

米国同時多発テロから25年

~ ニューヨークで見た喪失と希望の軌跡 ~

 

公益社団法人愛媛県産業貿易振興協会 専務理事 重松栄治

 

 

2001年9月11日、ニューヨークの空はどこまでも澄み渡っていた。後に多くの人々が語ることになる「あの日の青空」である。

 当時、私は伊予銀行ニューヨーク駐在事務所に勤務していた。事務所はテロの約1年前までワールドトレードセンター(WTC)北棟79階にあったが、店舗形態の変更に伴い、グランドセントラル駅近くのオフィスへと移転したばかりであった。 

 その日、出勤途上で「WTCに航空機が衝突した」との報を受けた。当初は痛ましい事故かと思われたが、2機目が南棟へ突入したことで状況は一変した。ツインタワーは炎上し、世界中が見守るなかで南棟、北棟の順に崩壊していった。世界経済の象徴であった建造物の消失は、単なる都市景観の崩壊ではない。そこには多くの人々の日常があり、人生があり、家族があった。約3,000人もの犠牲者を出した現場を現地で経験した一人として、四半世紀が経過した今、伝え残すべき教訓があると感じている。

 

混乱の中で実感した「日常を守る」ということ

 当時、私は妻と3人の子どもとともにニューヨークで暮らしていた。当時は現在ほど通信インフラが発達しておらず、市内の電話はほぼ不通となり、郊外の自宅にいる家族と連絡を取ることすら困難を極めた。かろうじて繋がった国際電話を通じ、日本を経由して家族へ無事を伝えるのが精一杯であった。

 交通機関は全線ストップし、街には異様な緊張感が漂うなか、無数の人々が徒歩で帰宅途についた。時間の経過とともに被害の全容が明らかになり、普段から親交のあった邦人銀行員の方々の悲報も届いた。同じニューヨークで暮らす金融実務家として、その報せの重みは言葉に尽くしがたいものであった。

 連日の惨状報道は、子どもたちの心にも大きな影を落とした。当時、ニューヨーク日本人学校では心理的ケアやカウンセリング体制が敷かれたが、家庭において最も重要だったのは「平常の生活を維持すること」であった。事件の背景や愚かさを子どもにどう説明すべきか、親として明確な答えを持っていたわけではない。しかし、不確実性に満ちた極限状態の中で「普段通りの日常」を守り続けること自体が、当時の私たちにとって唯一の心の支えであったように思う。

 街の風景も急速に変貌を遂げた。異論を挟むことを許さないほどの過熱した愛国心が社会を覆い、オフィスビルや商店、一般住宅に至るまで、あらゆる場所に星条旗が掲げられた。星条旗を持ち合わせていなかった私は街中を探し回ったがどこも売り切れで、最終的にチャイナタウンの片隅で見つけた土産物の小さな星条旗を自宅の玄関に掲げ、胸を撫で下ろしたことを覚えている。

 テロから1ヶ月が過ぎ、人々が少しずつ日常を取り戻そうとしていた矢先、今度は「炭疽(たんそ)菌事件」が発生した。差出人不明の郵便物に白い粉末が封入され、開封した人が感染・死亡するという恐怖である。郵便物を開封すること自体に強い警戒心が伴い、心当たりのない郵送物はすべて密閉して破棄せざるを得なかった。

 その後、米国社会における安全保障のあり方は激変した。空港の保安検査は厳格化され、社会全体の監視体制が拡大した。テロ防止という目的は理解しつつも、「安全」と「自由」の境界線をどこに引くべきかという問いは、25年が経過した現在もなお解決されていない重い課題である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

WTC跡地グランドゼロ2024年                     トランプさんのコピー トランプタワーにて

 

 

「報復の連鎖」を超えて――貿易が果たすべき真の役割

 あれから四半世紀が過ぎ、WTC跡地には新たな超高層ビルが立ち並び、ニューヨークは再び世界経済の中心地として活気を取り戻している。

 しかし、あの日世界に投げかけられた問いは、今なお色褪せていない。 「テロと報復」「安全と自由」「分断と共生」――。

 アフガニスタンやイラクでの戦争を経て、中東情勢は今なお不安定さを抱えており、昨今のイランをめぐる緊張関係を見ても、25年前の出来事と地続きであることを痛感せざるを得ない。テロに対する報復、その報復が生むさらなる反発。形を変えながら続く対立の連鎖を、国際社会は未だ断ち切れずにいる。9.11は過去の歴史的事件ではなく、今まさに私たちが向き合っている現代的課題なのだ。

 現在、私は地域の国際経済交流に携わる立場にある。改めて振り返れば、かつてのワールドトレードセンターは単なる高層オフィスビルではなかった。そこは世界中から志を持った人々が集い、金融、貿易、情報、技術が絶え間なく交差する「地球規模の対話の場」であった。国境を越えた人と人との信頼関係を象徴する拠点だったのである。

 その場所が破壊されたことは、尊い命が失われた悲劇であると同時に、国際社会における「相互信頼」そのものが試された試練でもあった。

 だからこそ、私はこの25年を振り返り、改めて「国境を越えた交流と貿易」の重要性を強く訴えたい。異なる文化や価値観を持つ人々が互いを知り、尊重し、ビジネスを通じて共に働く。この愚直な積み重ねの先にしか、持続可能な平和への道は存在しないのではないだろうか。

 貿易とは、単にモノやサービスを移動させて利益を得る経済活動ではない。人と人を結び、国境を越えた信頼を築き、相互理解を深める最も実効性のある「平和維持の営み」である。地域経済の発展を牽引するだけでなく、不安定な国際社会の安定を根底から支えるインフラそのものなのだ。

 これから国際ビジネスや海外貿易に挑む若い世代、そして企業のリーダーには、世界のリスクや対立を恐れて内向きになるのではなく、より積極的に世界へ目を向けてほしいと願っている。対立ではなく、対話を。 分断ではなく、理解を。 そして報復の連鎖ではなく、「信頼と協力の連鎖」を。

 世界が複雑さと不確実性を増す今だからこそ、貿易に携わる私たちが果たすべき役割の価値は、これまで以上に高まっている。

 25年という歳月は決して短くない。それでも毎年9月になると、私はあの日の澄み切ったニューヨークの空を思い出す。9.11を単なる過去の記憶風化させてはならない。ワールドトレードセンターで失われたものの大きさを胸に刻み、人と人とを結びつける事業の価値を信じ、問い続けていくこと――それこそが、あの日を現地で生き抜いた者に課せられた責務であると信じている。

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